2007年12月13日

いざ東京へ

いざ東京へ


久しぶりに上京した。
東京に生まれ東京で育った年月と、伊豆高原に移住してからの年月はほぼ互角となった。つまり人生の半分は東京で暮らし、半分は伊豆高原ということになる。

こちらに住み始めた頃は一ヶ月も東京の空気を吸わないと、なにか取り残される感じがした。まだFAXが出始めの頃で今のように家電販売店などで売ってなく、リコーなどのコピー機取扱店と契約して購入した頃の話だ。
今ではインターネットという便利なツールを使えば世界中の情報を手にする事が出来、またこちらの生活に慣れたこともあり、用事が出来たときに思い腰を上げてしぶしぶ上京するくらいとなってしまった。
腰が重くなった理由の一つに、こちらに移住して3〜4年経った頃、小さい頃からのテリトリーであった原宿や青山、渋谷や六本木をさまよっていると、昔感じていた空気とは異なったものを感じたことがある。つまりその地域で遊んでいた地元人間はあらかた消え、かっての居心地の良かった店や場所は地方から来た人間に占拠され、単に人が集まる繁華街に成り下がってしまったのだ。それを感じ始めてから足は遠のいた。
今では伊豆高原のちょっと奥の方に位置する池という地域を毎日散歩したりサイクリングしたりすることがごくごく普通の生活となっている。
池は昔からの集落であるから、こちらは相手を知らなくても、相手は私が「どこのだれべえ」かは知っている。田んぼで会った池の人に「おめえ、どこのだれべえだろ?」と言われて最初はびっくりしたが、最近では、「あーやっぱり俺の事知ってるんだ」という反応だ。集落の人々は、一旦相手が「どこのだれべえ」かが分かり、ちょっとした立ち話と挨拶でも出来る人間と分かれば、とてもフレンドリーだ。いつも自転車や散歩ですれ違う老人と初めて立ち話をした時に、かなり昔から自分のことを見ていて知っていた。それも25年前くらいのことを言われた時は正直びっくりした。
しかしながら最近伊豆高原に都会から流入する人が増え、それにより散歩やウオーキングをする人も多くなり「どこのだれべえ」かが分からなくなってきた。かって東京に住み、地元であった場所が地方から来た人間に占拠されたと感じたように、集落の人々も、私を含めてよそ者が最近増えてきたと感じているのだろうか。

東京には色々な思い出がある。
東京に住む人に大変申し訳ないのだが、
今では東京は遊びに行く所で住む場所ではないと思っている。

いざ東京へ


隅田川の屋形船の景色を見ながら、かってアサヒビールの工場直結のビールが飲めた今はなき吾妻橋のビアホールに行った時(デートだったのだが、)、地元の野球帰りのユニフォーム姿のおっさん達とわーわー言いながら乾杯した頃を思い出し、しばしノスタルジックな思いに浸った。
東京はそんな場所になってしまった。

いざ東京へ


東京は瞬時変化している。
最先端都市東京はこれからも発展し続けるだろう。
発展の先になにがあるのか?それは誰も知らない。未知の世界に進んで行く東京。
私達が生きているこの瞬間も東京は進化をしているのだ。

いざ東京へ



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Posted by バズマス at 00:23│Comments(5)寝言
この記事へのコメント
私自身 新宿生まれで お幼稚の頃迄 育ちました
常に 開発し続けている 東京ですが 当時も 新宿駅前は 工事していたのを 子供ながらに 記憶しております

父親の 両親は 京都出身で 浅草にて 商売を しており アサヒビールの ビルは よく 見えますね

つい先日も 福田総理大臣と 石原都知事の 地方税の 割り振りの やり取りが 話題にも なりましたよね

地方も 魅力的に 評価されたら どんなに 嬉しい事でしょうと 改めて 感じております
Posted by 百合の花(人生はなまる) at 2007年12月13日 01:04
進化して行く東京。
 火の玉をイメージしてデザインしたと言われているフィリップ・シュタルクのデザインによる巨大なモニュメントを頭にのせたアサヒビール本社ビルは、完成した直後に、口の悪い東京っ子の間では「金色のう○○」という言い方もされていました。
 かって下町の良き雰囲気を残していた吾妻橋のたもとのビアホールがなくなったとき、正直がっかりしました。「電気ぶらん」で有名な「神谷バー」、晴海まで運行していた隅田川川下りの遊覧船とワンセットであった浅草の一角がもろくも崩れたような気がしました。
 東京は進化して各所で開発が進んでいます。地方も都市部では同様な開発が進んでいます。この結果、日本中「金太郎飴」になってしまうような気がします。
 地方の魅力は何なのか?もう一度原点に戻り考えていく事が大切なのではないかと考えています。
Posted by バズマスバズマス at 2007年12月13日 08:50
東京にはほとんど縁がなかったので、東京の昔話はとても楽しく読ませて頂きました。

そして地域(伊豆)の観光資源を見直す上で、首都圏出身、現在伊豆暮らしの方のお話は非常に参考になります。

どこもかしこも金太郎飴、私は「リトル東京」と呼んでます。
東京は都市として「生き物」と感じてしまうのですが、何故か地方都市にはあまり感じない。オリジナリティーの違いでしょうか。

ともかく地域の魅力は何なのか?改めて考えさせていただく記事でした。

ありがとうございます。
Posted by イーラ神南 at 2007年12月13日 10:13
このweblog 大変良く出来ている、
まねをしたいが、私には出来ない。
楽しみが又一つ増えた。
Posted by suzuki shinntaro at 2008年05月05日 13:08
suzuki shinntaro様
お褒めの言葉ありがとうございます。
時々のぞいてください。
よろしく!
Posted by バズマスバズマス at 2008年05月07日 21:23
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プロフィール
バズマス
バズマス
昭和時代の東京生まれ。1980年より伊豆高原でアメリカン・カフェレストラン「バズハウス」の住み込みマスターとして活躍中。店に行けば分かることだが、店内店外ともマスターの性格と趣味が溢れている。こだわりにはまり易く、とことんやってしまうので、株の投資家には全く不向き。
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