いざ東京へ
久しぶりに上京した。
東京に生まれ東京で育った年月と、伊豆高原に移住してからの年月はほぼ互角となった。つまり人生の半分は東京で暮らし、半分は伊豆高原ということになる。
こちらに住み始めた頃は一ヶ月も東京の空気を吸わないと、なにか取り残される感じがした。まだFAXが出始めの頃で今のように家電販売店などで売ってなく、
リコーなどのコピー機取扱店と契約して購入した頃の話だ。
今ではインターネットという便利なツールを使えば世界中の情報を手にする事が出来、またこちらの生活に慣れたこともあり、用事が出来たときに思い腰を上げてしぶしぶ上京するくらいとなってしまった。
腰が重くなった理由の一つに、こちらに移住して3〜4年経った頃、小さい頃からのテリトリーであった原宿や青山、渋谷や六本木をさまよっていると、昔感じていた空気とは異なったものを感じたことがある。つまりその地域で遊んでいた地元人間はあらかた消え、かっての居心地の良かった店や場所は地方から来た人間に占拠され、単に人が集まる繁華街に成り下がってしまったのだ。それを感じ始めてから足は遠のいた。
今では伊豆高原のちょっと奥の方に位置する池という地域を毎日散歩したりサイクリングしたりすることがごくごく普通の生活となっている。
池は昔からの集落であるから、こちらは相手を知らなくても、相手は私が「どこのだれべえ」かは知っている。田んぼで会った池の人に「おめえ、どこのだれべえだろ?」と言われて最初はびっくりしたが、最近では、「あーやっぱり俺の事知ってるんだ」という反応だ。集落の人々は、一旦相手が「どこのだれべえ」かが分かり、ちょっとした立ち話と挨拶でも出来る人間と分かれば、とてもフレンドリーだ。いつも自転車や散歩ですれ違う老人と初めて立ち話をした時に、かなり昔から自分のことを見ていて知っていた。それも25年前くらいのことを言われた時は正直びっくりした。
しかしながら最近伊豆高原に都会から流入する人が増え、それにより散歩やウオーキングをする人も多くなり「どこのだれべえ」かが分からなくなってきた。かって東京に住み、地元であった場所が地方から来た人間に占拠されたと感じたように、集落の人々も、私を含めてよそ者が最近増えてきたと感じているのだろうか。
東京には色々な思い出がある。
東京に住む人に大変申し訳ないのだが、
今では東京は遊びに行く所で住む場所ではないと思っている。
隅田川の屋形船の景色を見ながら、かって
アサヒビールの工場直結のビールが飲めた今はなき
吾妻橋のビアホールに行った時(デートだったのだが、)、地元の野球帰りのユニフォーム姿のおっさん達とわーわー言いながら乾杯した頃を思い出し、しばしノスタルジックな思いに浸った。
東京はそんな場所になってしまった。
東京は瞬時変化している。
最先端都市東京はこれからも発展し続けるだろう。
発展の先になにがあるのか?それは誰も知らない。未知の世界に進んで行く東京。
私達が生きているこの瞬間も東京は進化をしているのだ。
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